大西洋岸とダンケルクの包囲拠点 1944~1945年
忘れられた戦闘と勇敢な人々。フランス解放は、ノルマンディー上陸作戦とその後のパリ解放だけでは語れない。主戦線から離れたジロンド河口からダンケルクまでのフランス沿岸にはドイツ軍の籠城拠点が点在し、その周辺では1945年5月まで戦争が続いた。これらの拠点は……忘れられた戦闘と勇敢な人々。フランス解放は、ノルマンディー上陸作戦とその後のパリ解放だけでは語れない。主戦線から離れたジロンド河口からダンケルクまでのフランス沿岸にはドイツ軍の籠城拠点が点在し、その周辺では1945年5月まで戦争が続いた。
連合軍が「包囲拠点」、ドイツ軍が「要塞」、すなわちFestungenと呼んだこれらの拠点は、偶然生まれたものではない。連合軍が大陸に上陸した場合に兵站上の足場を与えないよう、フランス、ベルギー、オランダ沿岸の深水港を封鎖するという、1944年1月にドイツ側が示した戦略の産物だった。そのため、8月17日にドイツ軍最高司令部が帝国国境への撤退を命じると、守備隊はトゥーロンからダンケルクまでの13のFestungenに立てこもった。しかし、1944年夏の終わりまでに連合軍がアントウェルペンとマルセイユの港湾施設を手に入れると、この戦略は効力を失った。1944年夏には一部のFestungenが攻撃を受けた。トゥーロンとマルセイユは数日しか持ちこたえず、シェルブール、サン・マロ、ブレスト、ル・アーヴル、ブローニュ、カレーも、利用価値の乏しい廃墟と化した。残された包囲拠点、すなわちロワイヤンとメドック、ラ・ロシェル、サン・ナゼール、ロリアン、ダンケルク、チャネル諸島は、連合軍の補給線にとって大きな脅威ではなかった。
そのため、「解放者」たちはこれらの拠点の優先順位を最下位に置き、監視するだけにとどめた。一方、ド・ゴール将軍はこれらの包囲拠点を作戦計画に組み込み、大規模な作戦を構想したが、実現したのは1945年4月のロワイヤンとメドックでの作戦だけだった。こうした状況のもと、主としてフランス国内軍(FFI)出身のフランス軍部隊に委ねられた包囲戦は、時折局地的な戦闘を挟みながら続く長い待機となった。主戦線から遠く離れたこれらの包囲拠点は、1944年秋には「忘れられた戦線」と見なされ、その呼び名は今日まで残っている。忘却されたという感覚そのものによって記憶されているという逆説を伴いながら。西部戦線における戦争末期をたどる、優れた歴史研究である。
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