1940年6月、コート=ドールの道をたどる:敗走から住民避難へ(第2巻)
1940年6月にコート=ドールで起きた出来事と戦闘を扱う、特筆すべき研究の第2巻。
この全2巻は、戦争、火災、流血に見舞われた1940年のコート=ドールの驚くべき、そして悲惨な歴史を日ごとにたどる。極度の混乱の中、戦闘を逃れ、避難の道を進む何万人もの民間人がこの地域を通過した。そのうちの多くにとって、それは帰らぬ旅となった。武器を手に倒れ、あるいは敗走の波にのみ込まれたフランス軍と連合軍の兵士と同じく、彼らもここで命を落とした。
SS部隊とドイツ軍装甲師団に包囲されたコート=ドールでは、爆撃、機銃掃射、後衛戦闘、略奪、暴行、捕虜の虐殺が道路や町村の各地で起きた。男性、女性、子ども、歩兵、機甲部隊や植民地部隊の兵士など、フランス戦役中に県内で1,200人以上が命を落とした。
モレーム、モンバール、ソリュー、アルネ=ル=デュック、ボーヌ、ポンタイエ=シュル=ソーヌ、オーソンヌ、サン=セーヌ=ラベイでは実際に戦闘が行われた。同時に、シャティヨン=シュル=セーヌ、クルミエ=ル=セック、ディジョン、ボーヌ、スールなどは爆撃を受けた。
第1巻は開戦から、県内で主な戦闘が行われた1940年6月16日までを扱う。第2巻はその続きとして6月17日から始まる。第XVI軍団を指揮するヘプナー将軍はコート=ドールでの戦いに決着をつけようとしていた。その朝、ソンベルノンではドイツ軍がディジョンの降伏交渉を行う。同時に、レーニュ、サン=セーヌ=ラベイ、ジュヴレ、ボーヌなどで激しい戦闘が繰り広げられた。
その間、第XVI軍団の後衛を務めるSSは、進路上で数十人のセネガル人狙撃兵を虐殺した。また、部隊の前進を支援するため、シュトゥーカがフランス軍の退却路にある複数の町や幹線道路を爆撃・機銃掃射した。午後遅くには、ドイツ軍はボーヌとディジョンに到達した。
6月18日、サン=セーヌ=ラベイの包囲地帯に取り残されたフランス軍最後の連隊の残存兵は、次々と降伏した。さらに数千人のフランス兵が捕らえられ、県内には捕虜収容所が設けられていく。
6月22日、休戦協定が調印された。コート=ドールでは、破壊と犠牲者の数は甚大だった。
巻末には、1940年に亡くなった民間人、フランス軍兵士、連合軍兵士、ドイツ軍兵士、約1,200人の犠牲者名簿を収録。
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