フランス領アルジェリアの悲劇的な終焉 ― 若き従軍記者の真実の証言
1938年にパリで生まれたジャン=バティスト・フェラッチは、首都で第二次世界大戦の終結を迎え、幼少期に経験した出来事によって精神を鍛えられた。1957年末、日刊紙L’Auroreに報道写真記者として採用される。事件や雑誌向けの記事を取材する一方、1958年のフランス政治を揺るがした第四共和政の崩壊とド・ゴール将軍の政権掌握を追った。その胸には常に「一面を飾る」現場に居合わせたいという思いがあった。
1959年1月、カルヴィの第1突撃大隊に召集された。6月にアルジェリアに到着し、オドナ地方やチュニジア国境での作戦に参加。9月には軍の週刊誌Bledの記者となり、都市でも前線でも「アルジェリア事件」を取材した。1960年1月24日にはアルジェで、バリケード事件の銃撃に巻き込まれ、死を間近にした。兵士たちとともに部隊から部隊へ、また本書で語る作戦の現場へとアルジェリア全土を巡り、この国に愛着を抱く。しかし1961年4月末、将軍たちの反乱のさなかに兵役を解かれ、慌ただしく国を去った。
その後、大手新聞社の記者に復帰し、日々のニュースに加えて、パリを流血に染めた暴動、OASの暴力行為、将軍たちや「行き場を失った軍人たち」の大規模な裁判などを取材した。1962年3月のエビアン協定後、停戦に続く想像を絶する悲劇を報じるため、新聞社は彼を再びアルジェリアへ派遣する。バブ・エル・ウェド地区の封鎖、イスリー通りの銃撃、アルジェリアのフランス人の悲劇的な脱出、7月5日のオランにおける反ヨーロッパ人暴力、ハルキの虐殺である。
激動の時代を生き生きと描き、ときに小説を思わせるこの記録は、民間人として、また軍人として取材した若き記者の独自の視点を読者に示す。当時を知らない世代は、60年を経てその事件のただ中にあった日常を知ることになる。苦難のうちにその時代を生きた人々には、見覚えのある光景がよみがえるだろう。
ジャン=バティスト・フェラッチは複数の著作を持つ。主な著書に、エリー・ド・サン=マルクが序文を寄せ、2008年アルジェリアニスト賞を受賞した2007年刊の『戦時下アルジェリアの実体験に基づく情景』、2012年刊の『別れ――1962年:アルジェリアのフランス人の悲劇的な脱出』がある。
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